外注について



「ウェブサイトの企画、デザイン、コンテンツ制作、検証、すべてワンストップで丸投げ(全部まとめて請け負いますよ)!」という広告を見かけた。コンテンツを作るところまで外注してしまったら何が残るのだろうか、と考えこんでしまった。

ウェブサイトを家にたとえれば、土地の取得から設計、施工、庭の手入れも、子育ても介護も近所付き合いもホームパーティも、全部丸ごと請け負います、みたいなものじゃないのか。それは誰の家だ。

で。外注(アウトソーシング)って、僕の会社でもしたりされたり、わりと重要なテーマなので、ちょっと考えてみたい。

たとえば掃除って外注されがちな仕事で、大きな建物とか組織では専門の業者さんが入ってることが多くて、個人のお家でも外注してる人がいたりするし、ルンバみたいなロボットを導入してる人もいる。そういうのって、つい「もったいない」と思ってしまう。掃除に高いお金を払うこととか高価なロボットを買うことがもったいないのではなくて(それもあるけど)、掃除の気持ち良さを捨ててしまってることがもったいない。

掃除の気持ち良さって、掃除直後のきれいな片付いた状態で時間を過ごす気持ち良さもあるけど、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、掃除そのものの気持ち良さがあって、たとえば雑巾がけだと、自分の手が通った前と後で床がきれいに変化するわけだけど、これって、大げさな言い方をすれば、自分の手が世界を美しくする経験なわけで、こんなに簡単に確実に自分の手が世界を美しくできることって、そうそうない。きれいな物を作るのって手間暇のかかる大変な作業だけど、雑巾がけはとても簡単で確実だ。これを他人やロボットにやらせるなんてもったいない。というか、そもそも、掃除なんてしなくても、ちょっとやそっと汚れてても死ぬわけでもなし、面倒なら放っておけばいいのに。

掃除みたいな下らないことしてる暇があったらその時間を他のことに使う、ってことなんだろうけど、まぁ、きっとみんな立派な時間の使い方をしてるのだろう。それなら仕方ない。

外注といえば「餅は餅屋」っていう言葉を思い出す。確かに、専門家に外注するほうが速くて安くて高品質で効率的なのだけど、年末の餅つき大会を前にして、「スーパーで買えばよくない?」「てか、餅いらなくない?太るし。」って言ってしまうと、きっと悲しい顔をする人が出てくる。餅つき大会で求められているのは、安価で高品質な餅ではなくて親睦だから。

そういえば、東京に住んでた時、近所でお祭りがあってお神輿が出てて、「東京にもちゃんとこういう地域のコミュニティ残ってるんですねぇ。」って言ったら地元の人が「いや、お神輿かつぐ業者さんがあるんですよ。」って言われてとても驚いたことを思い出した。お神輿なんて外注して何が楽しいのか分からないのだけど、担ぐの(地域のお付き合い)は面倒だけど雰囲気は楽しみたい、っていうこともあり得るのかな。あるかも。

つまりは、面倒なこと、単調なこと、汚いこと、ややこしいこと、難しいこと、疲れること、こういうものは外注したい。で、それで得られるおいしい部分を効率的にいただきたい。それが外注なのだと思うけど、そもそも生きるって面倒で単調で汚くてややこしくて難しくて疲れるものなので、効率的になって時間を余らせたところで、結局辛いんじゃないか、という気がして仕方ない。ま、その余暇の時間をつぶす作業の面倒なところも外注すればいいのか。で、実際にそういう商売がたくさんあるのか。

人生丸ごと外注できたら楽かもしれない。けど、それってどんな状態だ。面倒なことは何もしなくてよくて好きなことだけしてればいい、なんてことになったら...、掃除とかしてそう...。

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