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Showing posts from April, 2015

耳や口で覚えてる言葉の意味を後で知るとグッとくる

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いい季節だ。部屋の中で仕事してるのがもったいない。

1999FEET HIGH&RISING A by King 3ldk on Mixcloud
↑ 15年ほど前によく聞いていたミックステープ(懐かしい)があって、その1:43から始まる台詞がある。それこそテープが伸びるまで繰り返し聞いていたので、耳ではよく覚えているのだけど、よく聞き取れないし、意味を調べることもしてなかったのだけど、この台詞の元ネタが、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」の冒頭のシーンということをだいぶ後になって知った。



Don't think, feel! It is like a finger pointing a way to the moon. Don't concentrate on the finger or you will miss all that heavenly glory. Do you understand?
考えるな、感じろ。それは月を指す指のようなものだ。指先にとらわれていてはその先にある栄光を見逃すぞ。分かるか?
さらにその後、この言葉の元ネタが、龍樹の大智度論に出てくる「指月の喩」だということを知った。言葉や経典が「指」、真実が「月」に例えられていて、そこにとらわれていては本質は見えない、というとても身につまされる比喩だ。

龍樹は2世紀のインドのお坊さんで、浄土真宗でも七高僧の一人目に挙げられているので、名前自体は子供の頃から何度も聞いていてよく覚えているのだけど、これまた、それが誰なのか、というか、それが人の名前なのかどうかもほとんど何も知らないまま、だいぶ後になって意味を知った、というものだ。

こういう、意味を知らないまま、耳や口で覚えている言葉の意味を後になって知ったり、意味がつながったりすると、最初から意味で覚えるのとは違う独特の感動がある。し、そういう感動を経て知った意味は、辞書で知る意味よりも深く刻まれる感じがする。体で覚えることで、意味が入る容れ物が頭の中にできるような感じだ。

っていうか、やっぱり、こんな気持ちのいい日に部屋の中でPCに向かっていてはダメな気がして仕方ない。


桜と花粉と好きと嫌い

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スギ花粉のピークが過ぎた。やっと春だ。というわけで、ハワイ報知(2015年3月16日)の写真&エッセイを転載。

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桜と花粉と好きと嫌い


桜が嫌いだ。なぜなら、桜の咲く季節は花粉が飛ぶ季節でもあるからだ。この季節、花粉症を患う私の体は、杉や檜の花粉に反応し、鼻がつまり、鼻水が溢れ、目は蚊に刺されたようにかゆく、くしゃみが止まらない。桜に罪がないのは知っているが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、と同じ原理で、花粉憎けりゃ桜まで憎いのである。

桜の花のうっすらピンクの入った白色はとても謙虚で上品だが、葉が出る前に花を咲かせるあたり、自らの美しさを自覚しているかのようで、したたかな計算高さも感じさせる。年度の変わり目で一斉に満開になって、出会いと別れの光景に文字通り花を添える。そして、パッと咲いてパッと散る様子は、この上なく美しく無常を象徴する。花粉さえ飛んでいなければ、きっと桜が好きだったと思う。 

さて、ここで「屋烏之愛」という言葉を思い出す。人を深く愛すると、その人の家の屋根にとまっているカラスまで愛おしく思える、という意味で、「坊主憎けりゃ」のちょうど逆だ。何かを大好きになるとその周辺まで好きになる。大嫌いになればその周辺まで嫌いになる。どうやら、好きの気持ちも、嫌いの気持ちも、とても強くなると、その対象だけにとどまらず周辺にまで溢れ出てしまうらしい。 

ということは、一つの仮説が思い浮かぶ。私は好きなものに囲まれて生きていきたいと思うのだけど、もし仮に自分のことを大好きになることができれば、自分の周辺のものまで好きになる、つまり、好きなものに囲まれた状態になるのではないだろうか。うん、理屈としては間違っていないように思う。だけど、私は、自分で自分のことが大好きな人間など大嫌いである。どうすればいいのか。

ハワイ報知 2015年3月16日10面