桜と花粉と好きと嫌い

スギ花粉のピークが過ぎた。やっと春だ。というわけで、ハワイ報知(2015年3月16日)の写真&エッセイを転載。

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桜と花粉と好きと嫌い




桜が嫌いだ。なぜなら、桜の咲く季節は花粉が飛ぶ季節でもあるからだ。この季節、花粉症を患う私の体は、杉や檜の花粉に反応し、鼻がつまり、鼻水が溢れ、目は蚊に刺されたようにかゆく、くしゃみが止まらない。桜に罪がないのは知っているが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、と同じ原理で、花粉憎けりゃ桜まで憎いのである。

桜の花のうっすらピンクの入った白色はとても謙虚で上品だが、葉が出る前に花を咲かせるあたり、自らの美しさを自覚しているかのようで、したたかな計算高さも感じさせる。年度の変わり目で一斉に満開になって、出会いと別れの光景に文字通り花を添える。そして、パッと咲いてパッと散る様子は、この上なく美しく無常を象徴する。花粉さえ飛んでいなければ、きっと桜が好きだったと思う。 

さて、ここで「屋烏之愛」という言葉を思い出す。人を深く愛すると、その人の家の屋根にとまっているカラスまで愛おしく思える、という意味で、「坊主憎けりゃ」のちょうど逆だ。何かを大好きになるとその周辺まで好きになる。大嫌いになればその周辺まで嫌いになる。どうやら、好きの気持ちも、嫌いの気持ちも、とても強くなると、その対象だけにとどまらず周辺にまで溢れ出てしまうらしい。 

ということは、一つの仮説が思い浮かぶ。私は好きなものに囲まれて生きていきたいと思うのだけど、もし仮に自分のことを大好きになることができれば、自分の周辺のものまで好きになる、つまり、好きなものに囲まれた状態になるのではないだろうか。うん、理屈としては間違っていないように思う。だけど、私は、自分で自分のことが大好きな人間など大嫌いである。どうすればいいのか。

ハワイ報知 2015年3月16日10面

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