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寒くて暗い冬の朝のしあわせ

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ハワイ報知という新聞に写真&エッセイを連載させてもらえることになった。 ウケる。 ハワイ報知はハワイで発行されている新聞で、アラモアナのニジヤ・マーケットとか、東京の国会図書館に行かないと読めない媒体だそうで、たぶん多くの人は読む機会がないだろうと思うのでここに採録する。では、どぞ。 (って一回言ってみたかった。) ----- 寒くて暗い冬の朝のしあわせ 東に住む人はしあわせ 生れたばかりの太陽を 一番先に見つけることができるから 北に住む人はしあわせ 春を迎えるよろこびを 誰より強く感じることができるから 南に住む人はしあわせ いつでも花の首かざり 愛する人に捧げることができるから 西に住む人はしあわせ いつも終わりに太陽を 明日の空へ見送ることができるから  木下龍太郎作詞の「しあわせのうた」の歌詞だ。子供に頃にこの歌を聞いて、どうしてもひっかかる部分があった。それは一言で言えば「北に住む人は損しているのでないか。」ということだ。なぜなら、東、南、西、それぞれ他にはない素敵な特徴があるのに、北の人にはそれがなく、他の方角に住む人にもやってくる春のよろこびを「強く感じることができる」だけだからだ。  でも、少し大人になって、そもそも幸せとはそういうものなのかもしれない、と思うようになってきた。たとえば、お金をたくさん持っている、人に尊敬される役割を担っている、大きな影響力を持っている、などなどの状況や条件は、幸せとはあまり関係ないらしい、ということが分かってくる。  目の前にある現実をしっかりと丁寧に感じて、味わい、その素敵さに感謝する気持ちがあれば、どこでどのように暮らしていても、きっと幸せを感じることができる、というか、そうすることでしか幸せを感じることはできないのだと今は思う。つまり、幸せとはそれを感じる力、見つける力のことなのだろう、と。  生きていると、思い通りにならないことや、理不尽なこと、意味不明なこと、不愉快で不安になる出来事にたくさん遭遇し、なぜ生きているのか分からなくなることが時々ある。だけど、そんなこちらの思いにはおかまいなしで、太陽は昇って沈んで、四季はめぐり、人は出会い別れて、生まれて死んでいく。この淡々とした流れの大きさに思いを馳せると、寒くて暗い冬の朝の風景も少し