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Showing posts from November, 2012

柿渋で一閑張

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バック・トゥ・ザ・ルーツ。レッツ・現代文明批判。というわけで、というか、というのも何なのですが、どっちに進んでいいのか分からない時は、今まで歩いてきた道を見ているのもよいかもしれない、という感じで、歴史、古いもの、原始的なもの、などに関心が向きがちな今日この頃、一閑張を作ってみた。
一閑張とは、日本の伝統工芸品のこと。明から日本に亡命した飛来一閑が伝えて広めた技術なので一閑張になったという説がある。農民が農閑期の閑な時に作っていたものなので一閑張と呼ばれるようになったという説もある。竹や木で組んだ骨組みに和紙を何度も張り重ねて形を作る。形が完成したら柿渋や漆を塗って、色をつけたり防水加工や補強にする。食器や笠、机などの日用品に使われたが、現在はあまり一般的に使われていない。 一閑張 - Wikipedia 書道をしてると書き損じの半紙が大量に出てくる。これを捨てるのももったいないなぁ、とふと思い、そういれば、半紙を貼り重ねて作った籠があった気がする、あれ何だっけか、「半紙 貼り重ねて 籠」でググると一閑張が出てきた。インターネットってほんと便利。この便利さ感動しつつ、現代社会はこれでいいのかと思いつつ、なかなか難しい。

で、柿渋って何だ。
柿渋(かきしぶ)は、渋柿の未熟な果実を粉砕、圧搾して得られた汁液を発酵・熟成させて得られる、赤褐色で半透明の液体。柿タンニンを多量に含み、平安時代より様々な用途に用いられて来た日本固有の材料である。 文献で最初に記載されているのは10世紀頃であり、漆の下塗りに使用された記録が残っている。また、衣類に使用したのは、平安時代の下級の侍が着ていた「柿衣」がその始まりとされる。 カキタンニンには防腐作用があるため、即身仏(ミイラ)に塗布したり、水中で用いる魚網や釣り糸の防腐と、強度を増すために古くから用いられてきた。また、木工品や木材建築の塗装の下地塗りにも用いる。縄灰と混ぜて外壁の塗装にも使用された。更に紙に塗って乾燥させると硬く頑丈になり防水機能も有するようになるため、かつてはうちわや傘、紙衣の材料として用いられ、現在でも染色の型紙などの紙工芸の素材としても重要である。 タンニンが水溶性タンパク質と結合して沈殿を生じる性質は清酒の清澄剤として利用されており、今日ではこの用途で最も多く用いられている。塗料としての用途は近年は利用…

内山節の本を3冊続けて読んだ

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原発事故の後の産、官、学、メディア、などなどの唖然とするような嘘や理屈にショックを受けた。それぞれの中にいる人はきっと真面目に仕事をしてるだけなのに何でこんなことになるのか、こんなことになってしまう仕組みの背景に何があるのか、ということを考えると、ここで「お金」が重要な役割を担っていることはすぐに分かるわけだけど、お金って何なのかよくよく考えてみればよく分からない。そこで、それまで全然興味のなかった「経済」に興味が出てきた。現代経済学とかそういうのではなくて、もっとこう、根本のところを考えている人の本が読みたい、ということで、内山節の本を3冊続けて読んだ。
内山 節(うちやま たかし、男性、1950年 - )は哲学者。高校卒業後、大学などの高等教育機関を経ることなく、書籍などで自らの思想を発表しながら活動する哲学する人で知られている。長らく大学などの研究職についていなかったが、2004年から2009年まで立教大学の特別任用教員としても活動していた。1970年代から現在でも、東京と群馬県上野村との往復生活を続けている。上野村では畑を耕し、森を歩きながら暮らしている。
内山節 - Wikipedia 経歴からしてグッとくる。で、まず「怯えの時代」。印象に残った言葉のメモ。
貨幣には、交換価値はあっても使用価値は持たない。なぜなら貨幣は食べることも着ることもできないからである。(中略)使用価値は有用性のことだけれど、ものの有用性は結びつきの中で生まれてくる。たとえば食べ物の有用性は人がそれを食べるという結びつきのなかで発生してくるように、衣服の有用性は人がそれを着るという結びつきのなかで生まれるようにである。しかもその有用性は、それを包む関係性の内容によっても変わる。たとえば孫と祖父母の関係の中では、「つまらないもの」であってもそれが孫から祖父母へのプレゼントとして提供されれば、祖父母にとっては大きな有用性をもつものにもなりうるし、逆に関係が悪化している人からのプレゼントであれば、どんなものでもゴミ箱に捨てられる有用性しかないこともありうる。使用価値の大きさは、その使用価値とともに展開する関係のあり方によって、大きく変化するのである。そしてそのことは、使用価値はそれ自体がもっている価値ではなく、関係のなかで発生する価値だということを示している。その意味で使用価値は関係的価…

書道ジェニシティ(shodogenicity)を提唱したい

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書道にはまってしまって、日常生活にも支障をきたすようになってきました(仕事が手に付かない、お風呂に入らない、朝の勤行をさぼる、など)。

ま、それはそれとして、新たな概念を発見をしたのでメモ。というか提唱したい。

臨書をしていると、これから書く字について、
「おお、これ書きたい!」と思う言葉と、
「ううん、これ気が乗らないなぁ。」と思う言葉が出てくる。

たとえば、笙、空、杏、夢、まき、星輝、徳島、錦、一碧、龍子、などは書きたい言葉で、一方、川辺、さらさ、伸、仁、八重、萌え、播磨、湘南、夜桜、などは気が進まない言葉(何の臨書してんだよ、という感じですが、それはまたおいおい...)。

この違いはなんだろうか、と考えてみた。言葉の意味は関係なく、画数や字の対称性、文字の組み合わせ、いろいろ関係ありそうだけど、どれもこの違いを説明できる決定的な要素ではなさそう。これらの要素とは独立した一つの「書道映えするかどうか」という概念(軸)があるんだな、ということに気づいた。

写真でも同じように、なんだか分からないけどかっこいい写真になる被写体と、どう工夫してもパッとしない被写体というのがあって、この間には説明の難しい違いがあります。この二つの間の違いを、フォトジェニシティの違いといいます。

フォトジェニック(photogenic)という言葉は、「写真写りの良い」とか「写真映えする」といった意味で使われる言葉で、写真に凝ったことがある人には分かる、あの「写真にするといい感じ」感のこと。たとえば人の写真。世の中には美人とそうでない人がいるわけだけど、美人がフォトジェニックかというと必ずしもそうではなくて、逆に、いわゆる美人ではないんだけど写真すると妙にいい写真になる、みたいな人がいるわけです。このようなことは、花でも虫でも風景でも建築でも道具でもあって、それ自体の美しさとかかわいさとかおもしろさとは次元の異なるフォトジェニシティという性質があります。

もちろん、人によって「美人」が違うように、かわいいと思う所、おもしろいと感じる所はぜんぜん違うし、フォトジェニシティを感じる被写体は写真を撮る人それぞれにぜんぜん違うわけですが、「どうしたらかっこいい写真になるんだろう。」と考え始めると見えてくる一つのそういう概念(軸)があります。

で、これとまったく同じことが書道にもいえて、書道映えする…

雅号と篆刻

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書道を始めて2週間。もう生活の一部になってる感じさえしてきました。

書道、いい。何が良いか。今の時点で思いつくことは、
集中して余計なことを考えない(意外と気を使って生きている)身体を使う(普段使わない筋肉を繊細に使うし、息を詰めたりふう~っと抜いたりと呼吸が多様)歴史のスケール感がすごい(お手本が2000年以上前のものだったり) 無目的性(目的がない。あっても「美しさ」的な非言語的で比較不能で上限のない目標設定)一期一会感(墨の色や濃さ、筆が含む墨と水、紙の滲み、などなど毎回違って二度と再現できない) あたりでしょうか。あと大事なのがローコスト。紙も墨も筆も数百円で十分な質のものが買えて、しかもどんな小さな文房具屋さんでも置いてある。その上、道具にこだわろうと思えばそれはそれで奥の深い世界が広がってそう。
で、ひきつづき榊莫山の本にならって、王羲之、欧陽詢の臨書(の臨書)をしているのだけど、ちょっとググるとYouTubeにたくさんデモンストレーションの動画があって、蘭亭序にしても九成宮醴泉銘にしてもさすがクラシック、いろんな書家が書いてる様子が動画で見れるんですね。お手本だけだと分からない筆の持ち方とか、動かし方とか、座り方とか、着てる服とかとか、すごく面白い。


現代中国の有名な書家らしい田英章、書いてる字とこの風貌のギャップとか、とても味わい深い...。というか、本場のスターの手元が間近に簡単に見れるって贅沢。

動画に英語でコメントがいっぱい入ってて「beautiful!」とか書いてあるのも面白い。字の意味が分からなくても美しさが伝わってるんですね。そういえば驚いたのが、お手本になってる臨書、文章の意味の区切りとは全然関係のところで3文字とか4文字とかを切り取って練習するんですね。そもそも、蘭亭序は「詩集の序文」だし、九成宮醴泉銘は「泉が湧きでた記念碑」、温彦博碑は「お墓」だったりで、大した意味のない文章が不朽の名作になってるのもおもしろい。意味から開放されて普遍性を得てる、というか。表意文字と表音文字、書道とカリグラフィ、レタリング、タイポグラフィ、フォント、いろいろと興味がわいてくる。

で、お手本とYouTubeを見ながら仕事の合間に(どっちが合間が微妙だけど)書くわけです。

最初は「結構それっぽく書けるじゃん、うまいじゃないか。」と嬉しがっていたものの、し…