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Showing posts from September, 2012

「異型の王権」を読んで服装について考えた

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網野善彦の「異型の王権」を読んだ。このところ「歴史」に興味が出てきたのだけど、その主な理由は、網野善彦の本が面白かったから。なんでこの人の本が他の歴史の本と違って面白いのか、「はじめに」の文章でちょっと明らかになった。
このような「身辺雑事」に関わる問題を取り上げることになんの意味があるか、という厳しい批判も依然として耳に入るこのごろであるが、しかしかつて高校教育の現場で、制服か自由服かをめぐって激論を交わした経験のある私にとって、この問題は決してどうでもよい問題とは思えないのである。服装のあり方が、人の心を深くとらえ、それを端的に表現するものである以上、人の心を問題にしようとする歴史学がそれを放置することは、むしろ重大な怠慢といわなくてはなるまい。 鶴見俊輔の解説によると、
権力者の交替としてだけでなく、おおきな身ぶり・身なりの変動として、鎌倉から南北朝への時代を見るこの見方は、民俗学と歴史学をむすびつける著者の方法である。「昔はこうだった」という証言を集めているだけで、歴史学とかかわりがないように考えられていた民俗学の方法は、何年何月何日に将軍がなくなったというような日付と、点対点的な対応を求められても、こたえを出せない。しかし数百年、千年の大きな区分によってとらえるならば、歴史把握の方法として活力をもつ。 学校の授業でならう「歴史」は、権力者の交替の歴史なんですね。今の権力者に興味を持てない僕が、昔の権力者の交替劇に興味を持てないのは当然のことで、網野善彦の歴史は、リアルな生活の場の歴史だから面白いんですね。

で、表紙の絵は、「融通念仏縁起絵巻」という15世紀の絵巻物の一場面で、このような絵の中の変な格好をしている人たちは何者なのか、この杖のような棒は何なのか、といった切り口で、異類異型といわれた人々への恐れや畏敬、蔑視や差別、位置づけの変遷を通して中世(おもに室町期)が描かれていきます。


網野善彦によると、現代と同様に、室町時代は「人間の社会と自然との関係の大きな転換」のあった時代だそうで、「15世紀以降の社会のあり方は私たちの世代の常識で、ある程度理解が可能ですが、13世紀以前の問題になると常識が通用しないかなり異質な世界がそこにはあるように思われます。」と。 鎌倉時代以前には見られない出自不明の農民・商人層の社会進出を可能とし、日本史上初めて顔が見える…

好き?好き?大好き?と胡蝶の夢

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R.D.レイン (著)、村上光彦 (訳)の「好き? 好き? 大好き?―対話と詩のあそび」を読んだ。

著者のレインは、
ロナルド・D・レイン(Ronald David Laing、1927年10月7日 - 1989年8月23日)はイギリスの精神科医、思想家。
1950年代末から1960年代にかけて、統合失調症の患者を入院治療によって隔離・回復させようという当時の主流の精神医学に対し、むしろ地域に解放し、地域の側の認識を変容させることで治癒させることをめざす「反精神医学、anti-psychiatry」運動を提唱・展開し、デヴィッド・クーパーとともに同運動の主導者とみなされている。
この運動はまた、のちの家族療法や、『アンチ・オイディプス』などを書いたフェリックス・ガタリ、ジル・ドゥルーズなどにも影響を与えた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/ロナルド・D・レイン 統合失調症、地域、家族、反精神医学、ドゥルーズ、気になっているキーワードてんこ盛り。

対話形式の詩が多くて、解釈の幅が広くて、ポカーンとさせらるのだけど、妙にザワザワした気持ちにさせられたり、ニヤリとさせられたり、ゆっくり落ち着いた気持ちで時間をかけて読みたい本。

訳者あとがきによると、
機構(システム)が支配する世界においては、自分が社会の歯車だと思えればいいほうで、たかだか小さいねじ程度のものでしかないと考えられなくなることがあるものです。そんなとき、人は必死になって、自分の人格の独立を願い、人格どうしの連帯を求めるのです。…レインが示している数々の人間模様のなかには、石化への恐れ、すなわち《生きた人間から死んだ物に、つまり行動の主体性を欠いた死物、石、ロボット、オートメーションに、主体性のないものに変わる、ないしは、変えられる可能性についての恐れ》に憑かれた病者の苦悩を反映したものが見られます。  弱者に対する切り捨て御免の態度への怒り  家族が―ひいては社会が―尊敬・画一性・服従を促進するための策略を練っているとして、レインはこれらの策略をあばきだすために豊かな想像力を駆使しました。…社会を支えている、家族に根ざす支配構造の告発に努めてきました。 東洋思想の影響はこの本にも認められます。…荘氏にもとづいた一節もあります(胡蝶の夢)。…病者が妄想のなかで胡蝶であると…

ルイス・フロイスの日本覚書

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松田毅一&E・ヨリッセン(著)「フロイスの日本覚書―日本とヨーロッパの風習の違い」を読んだ。網野善彦の「日本の歴史をよみなおす」で紹介されてて興味をひかれて

フロイスというのは、イエズス会員として戦国時代の日本で宣教したポルトガル出身のカトリック宣教師ルイス・フロイス(1532年 - 1597年)のこと。

「われら(ヨーロッパ)は○○、日本人は○○。」という形式の箇条書きで、宗教、医療、建築、芸術、衣服から、酒の飲み方や鼻の穴のほじり方にいたる多様な話題についてフロイスが残した611項目のメモの邦訳に、松田毅一とE・ヨリッセンの解説と考察が添えられた本。

で、今の関心はもっぱら家族や結婚の話題なのだけど、関連するところでは、

ヨーロッパ日本未婚女性の最高の栄誉と財産は貞操。処女の純潔を何ら重んじない。それを欠いても、栄誉も結婚(する資格)も失いはしない。夫が前方を、妻が後方を歩む。夫が後方を、妻が前方を行く。夫婦間において財産は共有である。各々が自分のわけまえを所有しており、ときには妻が夫に高利で貸しつける。妻を離別することは、罪悪であることはともかく、最大の不名誉である。望みのまま幾人でも離別する。彼女たちはそれによって栄誉も結婚(する資格)も失いはしない。堕落した本性にもとづいて、男たちが妻を離別する。しばしば妻たちのほうが夫を離別する。娘や処女を(俗世から)隔離することは、はなはだ大問題であり、厳重である。娘たちは両親と相談することもなく、一日でも、また幾日でも、ひとりで行きたいところに行く。妻は夫の許可なしに家から外出しない。夫に知らさず、自由に行きたいところに行く。堕胎はおこなわれもするが、たびたびではない。日本では、いともふつうのことで、20回も堕ろした女性がいるほどである。嬰児が生まれ後に殺されることなどめったにないか、またはほとんどなったくない。育てることができないと思うと、嬰児の首筋に足をのせて、すべて殺してしまう。女性が文字を書く心得があまり普及していない。貴婦人においては、もしその心得がなければ格が下がるものとされる。通常、女性が食事をつくる。それを男性が作る。男性が高いテーブルで、そして女性が低いテーブルで食事する。女性が高い食卓で、男性が低い食卓で食事する。女性が葡萄酒を飲むことは非礼なこととされる。(女性の飲酒が)非常に頻繁であり、祭…