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大晦日になってしまった。2011年振り返り。

3月11日の東日本大震災。東北沿岸部にはあまり縁がなく、直接知ってる人が亡くなったり大きな被害を受けたりってことはなかったけど、この震災はショックが大きかった。95年の阪神・淡路大震災、僕は滋賀にいて、強く揺れを感じたり近所の土塀が壊れたりと身近な地震だったけど、今年の震災はなぜかそれ以上に堪えた。 

原発事故。胡散臭さは感じつつも、その嘘を指摘していた人の声に耳を傾けず、何も自分の頭で考えずに、「きっと大丈夫なんだろう」「賢くて真面目な人たちがうまくやってるに違いない」などと無関心なまま、結果的にこのような事業が推進されてきたことに加担していたこと、悔しく思う。最初の素朴な違和感、忘れちゃだめですね。政治家、役人、企業、学者、メディア、などなど、ここまでひどいとは思わなかった、という出来事がたくさんあった。そして、原発に限らずにこれと同じ構造はいたる場所にあるんだと思う。 このままじゃいけないと強く感じた。

とはいえ、腐り方がとても大きく複雑で、自分自身の生き方を見つめなおさないといけない問題でもあり、どこからどう手をつけていいものか、今の自分にできることは何なのか、などとグズグズしているうちに、9ヶ月以上経って、街を歩いたり、人と話したりしていると、なんだか従来通りの生活に戻りつつある雰囲気を感じ、戻っちゃだめ、この雰囲気に流されちゃダメ、と思ったり思わなかったり....。なんだろうか、とにかく、311以前とは世界の見え方が違う。 

ツイート募金とか梅干しチャリティとかやってみて、今年は「経済」というものを見る目が大きく変わった年だった。次の3月11日に「第2回ツイート募金」というか、「本物のツイート募金」をやりたいなぁ、と思ってはいるけど、売上と準備状況次第。どうかな。。。

仕事の意味についても揺らいだ年だった。「こんな仕事してる場合なんだろうか。」ってことを震災前からいつも思ってたけど、震災後はこの思いがより強くなって、仕事のモチベーションが見つかりにくくなっている。シロシベ3期目も無事に終わって、飽きてきてる、っていうのもあるのかなぁ。

実際に初めて出会った人、久しぶりに再会した人、ネット上で知った人、ずっと前から知っているけどグッと距離が縮まった人、震災がきっかけの人との出会いが多かった。 

なんとも言えない今のこの感じにぴったりの比喩。
3月11日。大地震と原発事故に私たちの心は大きく揺れた。この時、私たちの心をそれぞれに射抜いたものがある。それは感光したフィルムがそれだけでは見た目に何の変化もないのと同じだ。それは現像されることによって、明確な形と色をもって目に見えるようになる。私たちの感光した心も、いつか「現像」をへて、明確な思いとなるにちがいないと思う。原発震災(45)現像 - だいずせんせいの持続性学入門
本当にその通りで、感光してしまっているんだと思う。どこがどう変わったのか現像するまで見えないし、いつ現像するのかも分からない。だけど、そのいつかの現像の時に向けて、日常を丁寧に生き、鍛錬しておかねば、といったことを思う年末。

年末恒例、1年分の写真を1分のスライドショーにしました。
   

大きなサイズのゆっくりスライドショーは、flic.kr/s/aHsjtfycFs ←こちらで。 

ではでは、皆様良いお年を。

年賀状は去年より廃止しています。こちらからは返信もしませんので、ご了承くださいませ。

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