電力消費量と生活水準はあんまり関係ないような気がするんですけどどうなんでしょう

まだ年度末の仕事が終わってませんが、最近移動時間が多かったので、樋口健二の「 闇に消される原発被曝者」を読みました。

最初に出版されたのは1981年で、2003年に復刊された本です。「原子力村」の癒着、隠蔽体質、ずさんな安全管理、多重下請け構造による搾取、決して安くないコスト、30年も前から警告されていたんですね。今回の事故後の、「アラームを無視して長靴をはかずに被曝」とか「新聞紙やおがくずで排水を止める試み」といったにわかには信じがたいニュースも、これを読むと納得し、同じようなことが40年間ずっと繰り返され隠蔽されてきたんだろうな、と思います。今まで何も知らずに無関心であったことを恥ずかしく思います。

この本、多くの人に読んでほしいと思うのですが、今は手に入りにくくなっているようで、とりあえず、スペイン紙「エル・ムンド(EL MUNDO)2003年6月8日」の樋口さんのインタビュー「日本の原発奴隷」を読んでいただけると少しは雰囲気が伝わるかもしれません。

こういうの読むと、なんで原子力なんか使うのか、メリット全然ないじゃん、と思ってしまうのですけども、山中俊治の「ゆりかごと核エネルギー」の言葉を借りると、原子力って「人類がゆりかごを脱する夢」がつまったエネルギーだったんですね。当時は。鉄腕アトムが原子力で動くロボットだったり、ウランちゃんがかわいく描かれてたり、当時の原子力って、人類の叡智の結晶、最先端の科学、夢のエネルギー、未来のエネルギー、だったんですね。で、最近のアンケートなどを見てみると、この期に及んで原発を推進すべきという人が半数近くいたりするような結果もあって驚くのですが(僕の周りには一人もいません)、これは原発の大きな利権の受益者であるとか、原発村のキャンペーンに騙されてるとか、そういうことだけじゃなく、今も夢を捨てきれない、っていう人がけっこうたくさんいるのかな、という気もします。

で、放射線の健康への影響、ここ数週間でたくさんの情報に触れましたが、結局のところよく分かってないんですよね。僕はこの分野に詳しくはないですが、放射線の健康への影響を評価するのって、被曝量の評価も難しければ、数世代にわたるフォローアップも難しく、介入研究で他の要因をコントロールすることもできない、しかも強力な利害関係者がたくさんいて被曝自体が隠蔽されがち、こういうものを正確に評価することが極めて難しいということはよく分かります。とはいえ、こんにゃくゼリーよりは危険なことは明らかで、テレビなどで言われている「安全です」は「(たとえ後々健康被害が出ても因果関係を立証できないから)安全です」なんだと思います。

あと、原発のコスト、これも「実は高い」とか「実は安い」とか言われてますけど、実際のところはどうなんでしょうか。反対派が言うよりは安いのかもしれないけど、推進派がいうよりははるかに高いんだろうな、という気はします。まして、闇に消された被曝労働者、事故で失うもの、お金ではどうにもならない社会の損失なので、割に合ってないことは明らかだと思います。しかも40年前とは違って、地熱、太陽、風力、波力を使った発電の技術も、充電の技術も洗練され、スマートグリッドといった電力網、もう原子力に頼る理由はもはやないように思えます。今更何を言っても後出しジャンケンみたいな感じですが。

どっちにしてもエネルギーを浪費する生活を見直す時ではあると思います。脱原発の主張に対して「生活水準を下げる覚悟があるのか?」といった言葉がありますが、くっだらないテレビを大画面の液晶で見ること、きったないお尻を乗せる便座を人肌に温めておくこと、別に美味しくもないおにぎりを夜中に買うこと、似合いもしないイタリア製のスーツを着ること、バカでかい椅子を輸入すること、こんなのが高い生活水準だとしたら、こんなものはいりません。っていうかそもそも、電力消費量と生活水準はあんまり関係ないような気がするんですけどどうなんでしょう。

Another Nuclear Winter

101003

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